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東京地方裁判所 平成9年(ワ)570号 判決 1999年11月26日

原告 A野一郎

右訴訟代理人弁護士 飯野紀夫

被告 B山春子

<他4名>

右五名訴訟代理人弁護士 佐藤充宏

被告 A田冬子

主文

一  原告と被告らとの間で、東京法務局所属公証人A原松夫作成平成七年第二九〇号遺言公正証書が無効であることを確認する。

二  原告と被告らとの間で、東京法務局所属公証人B野竹夫作成平成六年第二二〇六号遺言公正証書が無効であることを確認する。

三  被告C川秋子は、原告に対し、別紙物件目録記載の土地について平成七年八月二三日相続を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

四  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

本件は、二通の公正証書遺言が、遺言者の遺言能力がないのに行われたとして、右遺言書の無効確認を求めるとともに、右遺言書に基づきなされた土地の移転登記について相続を原因とする移転登記手続を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告、被告らは、別紙当事者関係図記載のとおり、平成七年八月二三日に死亡した訴外A野太郎(以下「太郎」という)の子らである。

2  太郎は、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という)を所有していたところ、平成五年七月一五日、東京法務局所属公証人C山梅夫作成平成五年第〇二六一号遺言公正証書(以下「平成五年遺言」という)において、本件土地を原告に相続させる等の遺言をした。

3  太郎は、平成六年六月一〇日、東京法務局所属公証人B野竹夫作成平成六年第二二〇六号遺言公正証書(以下「平成六年遺言」という)において、太郎が従前に行った遺言は全て取り消すとの遺言をした。

4  太郎は、平成七年四月六日、東京法務局所属公証人A原松夫作成平成七年第二九〇号遺言公正証書(以下「平成七年遺言」という)において、本件土地を被告C川秋子(以下「被告C川」という)に本件土地を相続させる等の遺言をした。

5  本件土地には、平成七年八月二三日相続を原因とする被告C川を所有者とする別紙登記目録記載の登記が存在する。

二  争点

本件の争点は、平成六年遺言、平成七年遺言がされた平成六年六月一〇日、同七年四月六日当時、太郎は老人性痴呆により遺言能力がなかったかどうかという点にある。

第三争点に対する判断

一  被告A田冬子について

被告A田冬子(以下「被告A田」という)は、平成六年遺言、平成七年遺言がされた当時、遺言者である太郎は、老人性痴呆により遺言能力がなかったことを認めているので、原告の被告A田に対する請求は理由がある。

二  被告A田を除くその余の被告らについて

1  太郎の平成三年から同七年(死亡時)までの病状等

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 太郎は、明治四〇年九月一四日生まれで、平成三年当時、妻花子(明治三九年七月二五日生)と二人で生活していた。花子は、平成三年一一月五日、低血糖症で白鬚橋病院に入院し、長男である原告が一人となった太郎を自宅に引き取り扶養するようになった。平成三年一二月三日、花子が退院してからは、原告が自宅で太郎夫婦を扶養するようになった。太郎は、平成四年六月以降、しばしば大切なものがなくなったといっては騒ぎ、花子は原告を犯人呼びわりしたが、それらの物はほとんどがその騒ぎの直後ころ見つかった。

(二) 太郎は、平成四年一〇月一九日から同月二四日まで、不整脈で白鬚橋病院に入院した。白鬚橋病院の診療記録には「痴呆(+)」との記載がある。また、同病院の看護記録からは次のような状況が認められる。太郎には睡眠障害がしばしば起こっており、夜間に徘徊があり、自分で点滴を抜いてしまうようなことがあった。入院当初は病院を自宅と間違えていた。また、太郎は、しきりに帰宅したがり、家人の説得で一時は納得するが、また身の回りの物をまとめて帰宅しようとしたりした。

(三) 太郎は、退院後原告の家に戻り生活していたが、平成五年七月ころには、部屋の隅の方に水溜まりがあるなどの幻覚を見るようになっていた。更に、太郎は、平成五年一二月には、杖を使わないと立てなくなり、トイレに行くのに間に合わず、便を失禁するようになった。

(四) 太郎は、平成六年一月一三日から同月二〇日まで、鬱血性心不全、痴呆、糖尿病で再度白鬚橋病院に入院した。そして、同病院の看護記録からは、太郎の次のような状況が認められる。

(1) 前回の入院時と同様に睡眠障害が認められ、執拗な夜間徘徊を行っている。

(2) ご飯を食べさせてもらっていないと抗議めいた言い方をしたり、前日妻が面会に来たのを忘れるだけでなく、夕方面会した妻につき同じ日の午後九時半に「ばあさんはどうした!」と看護婦に詰問するなど記憶障害がますます明瞭となってきた。

(3) 深夜等にトイレ、自分の部屋の場所が分からなくなるなど場所的見当識の障害が認められる。

(4) 午前二時半ころ大声で時間を聞くなど時間的見当識の障害が認められるとともに常識的感覚の喪失(人格変化)が認められる。

(5) 「モニターの音を太鼓の音だという」など精神医学上の機能性幻聴の症状が認められる。

(6) 看護婦や妻からの通常の問いかけに返答できることもあるが、それはいずれも受動的な対応ばかりで、それ以外には知的活動を示す自発的な言動がない。むしろ、看護婦が具合を聞いても「意味不明なことばかり言う」こともあるなど、理解や判断にも障害が現われていることが認められる。

(五) 太郎は、退院後原告の家に戻り生活していたが、平成六年三月末ころより歩行が困難となり、一人でトイレに行くことが出来なくなり、おしめを常用するようになった。太郎は、このころ、夜間騒ぐことが多くなり、花子は睡眠を妨げられストレスがたまった。花子は、こういうこともあってか、平成六年四月三日、脳梗塞の発作を起こし、白鬚橋病院に入院したが、左半身麻痺の後遺症が残った。花子は、同年六月二七日、桜会病院に転院した。

太郎は、花子入院後も原告家族の介護を受けていたが、痴呆状況が益々ひどくなったため、原告は、同年七月一二日、太郎を花子の入院先である桜会病院の同じ部屋に入院させた。

(六) 太郎は、平成六年七月一二日から死亡する同七年八月二三日まで、桜会病院に入院した。そして、同病院の診療録、看護記録からは、太郎の次のような状況が認められる。

(1) 太郎の頭部CTが五枚撮られているが、最初の平成六年八月一六日のCT所見ですでに高度の脳萎縮と小梗塞巣が認められる。同年一一月五日、同七年二月二一日、同年五月一一日、同年六月二三日のCT所見も高度の脳萎縮と梗塞巣を示すのみで、脳出血その他脳に急激な異変が起こったことを示す所見は認められない。また、看護記録の導入部分には、病名として脳動脈硬化症と老人性痴呆が挙げられ、主訴として「自分で身の周りの事が不能。特に自覚症状なし。」との記載がされている。

(2) 太郎の入院当初の状況は次のとおりである。

前回の白鬚橋病院に入院時より大幅に痴呆が進行している。入院後三日経過しても自分のいるところが分からず、隣の妻は誰かと聞かれて、「となりのばあさんでしょう」としか答えられず、場所的見当識、時間的見当識に加え、対人的見当識の障害も加わった。

入院当初の観察記録にある「会話明確なるも、難しい話しになると支離滅裂である」に代表されるように理解力も低下している。

更に、八月九日の記載によると、「ハイハイと返事あるも意欲(-)」、八月一一日の記載によると、「何かいうとありがとうございます」とあるように、言われたことの内容をよく考えないで肯定的に返事する傾向を示すなど、判断力、自主性の著しい低下が認められる。

(3) 太郎の入院中盤以降の状況は次のとおりである。

一〇月三日には、「おかげ様でしっかり良くなりました」と病識を欠いた発言をした他、同月一九日には多弁であり、同月二八日には、午前零時ころから歌を歌うなど理解や判断の障害に加えて、躁状態、多弁、感情失禁といった情動面の障害も目立ってきた。

太郎は、平成七年一月一九日、同室の妻花子が死亡したのに、これを認識出来ないでいる。このことは、太郎が花子の死亡当日病室を訪れた被告A田に対し、花子がどこに行ったのかわからないといったこと、太郎は同月二一日には「俺の婆さん何かおいしい物持って来なよ」との発言をしていることなどから明らかである。平成七年一月以降は、太郎の精神内界が空虚化したのを反映してか、太郎についての看護記録の精神生活の記述は稀になっている。

2  遺言の内容、作成時の状況等

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 太郎は、平成三年八月六日、東京法務局所属公証人C山梅夫の公証人役場において、公正証書遺言を行った(以下「平成三年遺言」という)。なお、この遺言の内容は、花子、原告及び被告E田松子(以下「被告E田」という)を除く被告らそれぞれについて相続させる財産が指定されているが、被告E田に対する遺贈はなされていない。平成三年遺言では、原告の自宅の敷地である本件土地は、原告が相続することになっていた。

(二) 太郎は、平成五年七月一五日、前記公証人C山梅夫の公証人役場において、公正証書遺言を行った。平成五年遺言の内容と平成三年遺言の内容の異同をみると、原告、被告A田及び被告D原竹子(以下「被告D原」という)の相続財産には変動がなく、被告B山春子(以下「被告B山」という)、被告A野夏子(以下「被告A野」という)及び被告C川の相続財産が減らされ、その分花子の相続財産が増やされている。

(三) 被告C川らは、平成六年六月一〇日、原告方にいた太郎を花子の見舞いに連れて行くといって、被告C川方まで連れてきた。そこで、平成六年遺言が作成された。その内容は、従前に行った遺言をすべて取り消すというものである。右遺言に当たっては、事前に被告C川や被告A田から訴外清水恵一郎、同順子弁護士夫妻に相談がされ、右当日も清水弁護士夫妻が証人として遺言に立ち会った。しかし、他方で平成六年遺言の作成前後に清水恵一郎弁護士が作成したと思われる文書には、「内容を記載した遺言書を作成するのは、お父さんの状態からみて困難がある。第三者に相続分及び分割方法の指定の委託をする程度の公正証書遺言の作成ならあるいは可能か。」との記載がされている。

(四) 平成七年四月六日、桜会病院内の太郎の病室において、平成七年遺言が作成された。遺言内容は被告らが事前に話し合いで決めた。被告ら代理人佐藤弁護士は、被告らの話し合いの結果を文章化し、これを公証人A原松夫に渡した、公証人A原は、佐藤弁護士から渡された内容の公正証書を作成し、証人、太郎の署名部分のみを空白にした公正証書遺言を持参して、桜会病院を訪れたた。A原公証人は、八条からなる平成七年遺言について、一条一条確認するのではなく、全文を読み上げ、その後に太郎に署名させた。

平成七年遺言の内容は、平成三年遺言及び平成五年遺言では原告に相続させるものとされていた本件土地が被告C川に相続させるものとされ、また以前の遺言では登場していなかった被告E田に遺贈がなされ、原告については花子の死亡により太郎が相続した土地の共有持分を相続させるものとするなど、平成三年遺言、平成五年遺言とは全く異なった内容のものとなっている。

3  太郎の遺言能力の有無について

(一) 痴呆の概念等

前記1の事実に《証拠省略》を併せ考慮すれば、次の事実が認められる。

痴呆とは、普通に発達した知能が、後天的な脳の器質的障害のために、社会生活に支障をきたす程度まで低下した状態を総称するものである。そして、痴呆は、知的機能の障害がその基本にあるが、単に知的機能だけの障害を示すものではない。意志も感情も、人格も種々の程度に障害されるし、言語や視空間認知などの道具も種々の程度に加わっていき、いわば精神機能全体の障害といっていいといわれている。痴呆は、精神医学上は、いったん獲得された知能が原発的かつ持続的に低下した状態であって、その基礎に多少とも広範な脳の器質的変化が証明ないし想定される場合をいうとされている。そして、老人性痴呆の大部分は血管性痴呆とアルツハイマー型痴呆に属する。血管性痴呆においてはまだら痴呆が特徴的とされている。まだら痴呆とは、精神機能のある領域(例えば、記憶、見当識)には障害が目立つにもかかわらず、他の領域(例えば、判断力、人格面)では障害がほとんど認められない場合をさすのであり、昨日は精神的能力に障害があったのに、今日は障害ないといったような一進一退を示す時間的な概念ではない。これに対しアルツハイマー型痴呆は全般性痴呆である点に特徴がある。

太郎には、前記のとおり脳に血管性変化がある。しかし、他方、前記認定のとおり、八〇歳を超えて発症し、比較的早い進行であったこと、知能障害は早くから広範に及んでいることなどアルツハイマー型痴呆の特徴を多く備えている。そうだとすると、太郎の病状は、アルツハイマー型痴呆に血管性痴呆が加わった混合型であったと推認することができる。

(二) 平成六年遺言作成時(平成六年六月一〇日)の太郎の遺言能力

前記1、2を前提にすると、以下のとおり、太郎は、平成六年遺言作成時、遺言能力を有していなかったと認めることができる。

太郎は、平成四年一〇月二九日に白鬚橋病院に入院した当時、場所的見当識障害などがみられ、既に軽度の痴呆に陥っていたが、平成五年遺言作成当時には幻覚を見るようになっている。更に、太郎は、平成六年一月に再度白鬚橋病院に入院した当時には、夜間徘徊、記憶障害、場所的見当識障害、時間的見当識障害が顕著の他、常識的感覚を喪失するなど、一年余りの間に、時間の経過に従って痴呆の度を深めていった。そして、平成六年遺言のなされた日から約一か月後である平成六年七月の桜会病院の入院当初のころには、太郎の精神機能は、会話が難しい内容になると支離滅裂となるなど、前記記憶障害等に加え、理解力、判断力にも重度の障害をきたすようになった。以上の太郎の病状に照らすと、太郎は、平成六年遺言作成当時、重度の痴呆状態にあったと認めるのが相当である。そして、右太郎の痴呆状態に、平成六年遺言は太郎から持ちかけて作成したものではないこと、平成六年遺言の内容は平成五年遺言を捨てて、他の案を採用するという内容であることを併せ勘案すると、太郎には、平成六年遺言を作成するについて遺言能力を有していなかったと推認するのが相当である。

この点については、右判断に反する被告C川の供述及び《証拠省略》があるが、これらの証拠は前記認定事実及び平成六年遺言の証人である清水恵一郎、同順子弁護士夫妻が太郎の遺言能力に疑問を抱いていた事実が窺われることなどに照らし採用することができず、他に右判断を左右するに足りる証拠は存在しない。

(三) 平成七年遺言作成時(平成七年四月六日)の太郎の遺言能力

前記1、2、3(二)を前提にすると、以下のとおり、太郎は、平成七年遺言も作成時、遺言能力を有していなかったと認めることができる。

前記3(二)のとおり、太郎は、平成六年遺言作成当時の平成六年六月一〇日当時、既に重度の痴呆に罹患し、遺言能力を有していなかった。太郎は、右遺言作成から約一か月後の平成六年七月一二日から桜会病院に入院したが、これまでの障害に加え、対人的見当識障害、判断力、自主性の著しい低下が加わり、痴呆の程度は時間が経過するに連れ、深刻化の一途を辿った。ことに、平成七年一月一九日には、太郎と同室に入院していた妻花子が死亡しているにもかかわらず、太郎はこれを理解できていない。これらの事実を考慮すると、平成七年四月六日当時も、太郎は重度の痴呆状態にあったことは明白である。そして、右太郎の痴呆状態に、平成七年遺言は太郎から持ちかけて作成したものではないこと、平成七年遺言の内容は八条からなる複雑な内容であるところ、公証人は予め用意していた遺言内容全文を一度に読み上げた上で太郎の意思を確認したことをも併せ勘案すると、太郎は、平成七年遺言を作成するについて遺言能力を有していなかったと推認するのが相当である。

この点につき、桜会病院で太郎の主治医であったD川春夫医師は、太郎は、桜会入院当時、精神状態がよいときもあれば悪いときもあり、よいときには年齢相応の普通の老人の精神状態であったこと、平成七年四月六日当時遺言能力を有していた趣旨の証言をしているので、右証言の信用性について検討しておく。

証人D川は、他方で、平成七年遺言書の文章を、これでいいですかと聞かれ、いいですよという程度の能力はあるが、自分の方から、平成七年遺言の内容にあるように分けて下さいという能力はなかったと証言している。そうだとすると、本件で行った前記公証人の太郎の意思確認の方法(公証人の方で用意してきた遺言内容の全文を読み上げ、その意思を確認する方法)と対比すると、太郎が平成七年遺言を作成するについての遺言能力を有していたか否かは疑問という他ない。また、証人D川は、太郎の痴呆状態を時間的にムラのあるものとしているが、前記3(一)で認定したとおり、痴呆は持続的な精神機能の障害であること、太郎の痴呆が意思能力を失わせるほど強度のものであることから、たとえ太郎に異常行動がみられない状態の時でも、判断能力の喪失状態は変化していないものと思われ、この点に関する証人D川の証言は疑問である。以上から明らかなとおり、証人D川の証言には疑問な点があるので採用することができず、他に、当裁判所の判断を左右するに足りる証拠は存在しない。

4  小括

以上1ないし3によれば、原告の被告ら(被告A田を除く)の請求は理由があるということになる。

第四結論

以上によれば、平成六年遺言、平成七年遺言は、遺言者である太郎に遺言能力がなかったことから無効である。したがって、本件土地は、平成五年遺言により、原告の所有であるところ、被告C川を所有権者とする登記が存在するので、原告の移転登記請求(実質は「真正な登記名義の回復」)は理由がある。以上のとおり、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容することにする。

(裁判官 難波孝一)

<以下省略>

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